大正4年創始・105年 節分鎧年越に参加しませんか?

 

毎年、節分の夜に足利市内で行われる伝統行事で、坂東武者に扮した市民など約200人が、織姫公民館から鑁阿寺までの交通規制された市内大通りを練り歩きます。

最後には、国宝の本堂(写真)に一同が集結、追儺式(豆まき)を行います。

 

 日程:2020年2月3日(月)

    鎧行列 午後6時30分~午後7時30分

        大通り・旧国道50号

    追儺式 午後7時30分~午後8時00分

        鑁阿寺本堂 

 

今回は足利義兼公没後820年記念です

 

足利義兼とは

 

足利義兼公は、室町幕府初代将軍足利尊氏の6代前の先祖で、源姓足利氏の2代目当主です。鎌倉幕府を開いた源頼朝と血縁関係にあり、頼朝の妻である北条政子の妹の時子を妻とする義兄弟でもあります。源平の争いでは、頼朝の右腕として活躍し、鎌倉幕府創設に貢献するとともに、有力御家人としての地位を築きました。

 平氏滅亡後、奥州平泉での戦いの際、毛越寺や中尊寺など華麗な寺院を目にした源頼朝以下御家人たちは、自分の領地に池を中心とした浄土庭園をもつ寺院を建て、義兼公も樺崎寺の整備を行ったものと考えられています。また、寺伝によれば、建久6年(1195年)に出家すると、諸国を遍歴した後、足利に隠棲し、居館内の持仏堂を改めて寺院としました。これが後の鑁阿寺とされています。

 義兼公は、晩年、樺崎寺で日々念仏を唱えて過ごし、正治元年(1199年)に亡くなりました。今年は、足利義兼公没後820年となりますが、現代の足利市にも足利氏にゆかりのある数多くの寺社や文化財が受け継がれています。

    

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